eve-イヴ-のアタマの中

世界一の無駄話。料理 趣味 学問 思いつき ダイエット

無料版の人が3日間ブログを放置してみた

どうも。

 

 

お久しぶりです。

 

 

 

 

 

 

この三日間、外に出る用事があったのでずっと更新していませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

どうせ更新しないのなら、

 

この際はてなブログ自体に一切触れないでみようと、完全に放置していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでは毎日投稿して、はてなスターもいっぱいつけて、面白そうな人の読者になって、たくさん動き回っていたので、一回じっとしてみようと思ったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日投稿、はてなスター、読者登録

 

 

 

これらは言わずもがな広告活動です。

 

 

 

まして、通常の検索エンジンでは出てこないドメインを持たない人にとっては生命線といっても過言ではないです。

 

 

 

 

 

 

とりあえず、直近のアクセス数の結果を見てみましょう。

 

 

 

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今回、3月1~3日までの期間、放置しました。

 

 

 

 

3月1日 3回

 

3月2日 8回

 

3月3日 2回

 

 

 

 

 

ちなみに前日の2月29日は35回でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

この結果には特に驚きませんでしたが、それにしてもはっきりと出るものだと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

放置期間中のアクセスは恐らくほとんどがTwitterからのものだと思います。

はてなスターをいただいた方もいたので、全員が外部とも言えないようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あまりこの界隈でこの現象について口に出すことはよろしくないとは思いますが、他のブログを利用している人たちがよく言うように、ここの環境はつまりそういうことなんだなと思います。

 

 

本当に心から興味をもって関心をもって、良いと思った記事はてなスターを送って、ブロガーの読者登録をしている人は全体の何割なのでしょうか。(僕は興味がないのがあふれかえると面倒なのでそうしていますが)

 

 

 

 

 

 

 

薄々感じている方も多いと思います。

 

 

 

 

 

自分の中で傑作だと思っていない記事にスターだけは無作為に毎回送られる。

 

冒頭のつかみしか読んでないのがまるわかりなコメントが届く。

 

スターを脳死連打している人がいっぱいいる。

 

 

 

 

 

 

僕としては、始めやすいという意味ではてなブログはこれからも利用していきますし、始めたい人には一番おすすめするブログです。

 

ですが、このままこの状態を続けようとは思いません。

 

 

 

なので、アドセンス登録をするための下積みだと思って、もうしばらくこの環境で活動していきます。

 

 

 

 

 

 

しかし、僕の信念として、

 

 

 

 

 

 

ブロガーのために書くブログは書きたくないです。

 

アクセス数稼ぎの露骨な広告活動は今後もしたくないです。

 

良いと思った記事に、良いと思った分だけスターを送ります。

 

面白いブロガーだと思った方の読者になります。

 

質を上げるため、毎日投稿はもうしません。

 

 

 

 

 

 

 

これだけは譲りません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログを利用する目的は、ブロガーの数だけあっていいと思います。

 

 

 

 

 

そのうちの一つとして、僕のやり方があります。

 

 

みなさんも、

 

 

 

自身がどのような目的でブログをはじめ、

 

 

いままで書いてきて、

 

今書いていて、

 

これから書いていくのか。

 

 

 

 

 

一度考えてみていいと思います。

 

 

僕は今回の試みが考え直す良い機会になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回はこんな感じで終わります。

 

 

 

今日も読みに来てくださってありがとうございました。

 

 

 

 

 

それではさようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

<あとがき>

はてなスターはいただける分にはすごくありがたいけど、適当に連打されると自分の記事の正当な評価として破綻し始めるからあまりうれしくない。

いくら連打されても、逆に読みにいかないので、用法用量はきちんと守りましょう。

 

 

 

 

ただの根性論じゃない。

どうも。

 

 

 

 

 

 

最近気になっている宗教は空飛ぶスパゲッティモンスター教です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以前、バイトを長く続けることが良いかどうかについて書いたと思うのですが、

 

 

 

最近それについて考え直す機会を得たので、

 

 

 

今日は前回の改訂版ということにしようと思います。

 

 

↓前回の記事です

 

 

 

eve4049.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、

 

前回の記事の内容と少し違ったことを言いますが、

 

 

僕個人としては、とりあえず続けてみることの大切さをよく知っているため、

 

 

 

 

僕はきつくてもとりあえず半年は続けます。

 

 

 

 

 

 

バイトに限らずですが、

自分にとってきつくない事というのは、

 

 

自分がすでに出来る事、もしくはすぐに出来る事

 

 

なので、

 

 

やっていて楽ですが、その環境では成長は見込めません

 

 

 

 

 

 

僕としては、せっかく同じ時間を割いてやるのであれば、何か身になることをやりたいです。

 

もちろん、お金稼ぎが目的でそんなことどうでもいいって人にはどうでもいい話です。

 

しかし、この記事を見にきている方は少なくともこの議論に対して意見があったり、悩んでいる方だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、僕の友達からバイトを辞めたいと相談がありました。

 

(辞めたいというよりは、辞める理由を考えてくれという相談でした。)

 

 

 

友達はその仕事を1月から初めてまだ5回ほどしか行っていません。

 

 

 

最低勤務期間は3ヶ月だそうなので、辞めれるのは4月ごろになるとのこと。

 

 

辞めたい理由は

 

覚えることが多い

 

思っていた業務と違う

 

 

ということで、とても負担なのだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕としては、

 

まずなぜ相談されたのかわかりません。

 

 

辞めたらもう二度と会わないうえ、まだ5回しか会ったことがない人たちになにをそこまで…と思います。

 

 

シフトは 入れた場所に入る、週何回とかもない

 

という感じだそうなので、辞める予定の1ヶ月前にしんどいだの大学が忙しいだの適当に理由を作って辞めることを告げて、その月も1、2回入ればそれで終わりだと思います。

 

 

実際そうアドバイス(?)しました。

 

 

 

 

 

 

それに、

 

僕的には

 

もう辞めるのか と思いました。

 

 

 

が、

 

他人の僕が辞め方の段階まできている人にそこまで言う筋合いはないので、そこは黙っておきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんはどう考えますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕がもし口出ししていいのであれば

 

 

とりあえず3ヶ月続けるつもりでやってみて、少しでも出来ることが増えてきたら、さらにもうちょっと続けることを考えてみてもいいと思う。

人間関係が酷いのであればすぐに身をひいてもいいと思うけど、できないから辞めるというのはめちゃくちゃもったいないと思う。

 

 

と伝えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 皆さんの意見が聞きたいです。

 

どれほど長文でも喜んで読みますのでよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が続けることが大切だと思うのは、単なる根性論ではなく、自分の経験値になるからです。

 

 

 

 

将来使うかどうかなんてわからない知識や経験でも、全くの無駄だと言い切れないのが世の常です。

 

 

 

 

 

 

 

 

以前、知り合いの占い師のおばちゃんからこんな言葉をいただきました。

 

 

 

”すぐに役に立つものは

  すぐに役に立たなくなる”

 

 

 

 

これは、

 

今は使えないものでも、いつかきっと役に立つ日が来る

 

 

という意味の裏返しにもなります。

 

 

 

 

 

これを聞いて以来、知識や経験にものすごく敏感になりました。

 

 

とりあえずやってみる精神の土台になった言葉です。

 

 

 

 

 

 

皆さんにこれを伝えているこのブログもまた、彼女の言葉に支えられています。

 

 

 

 

できないことができるようになったらすごい嬉しいですしね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

といった感じで今日は終わりです。

 

 

 

たくさんのご意見お待ちしてます。

 

 

 

また次回お会いしましょう。

 

 

 

それではさようなら。

 

 

 

 

 

<おすすめ記事>

前回の記事です。

 

 

eve4049.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<あとがき>

僕のじいちゃんは昔は簡単にあきらめるな、と根性論で厳しい人やったけど、いまは嫌ならやめたらいい、無理して続けててもしゃーない、っていう意見に変わった。

 

なにがあったんやろ。

僕が考える最強の護身法

どうも。

 

 

 

 

 

 

 

 

牛丼大盛二杯をPayPayで払ったら並盛一杯分ぐらいお金返ってきてびっくりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のお話は、

 

 

僕が考える最強の護身術です。

 

 

 

 

 

僕が考える、というのも、最強というのも誤りですが、聞き逃してください。

 

 

 

 

 

 

それではさっそく。

 

 

 

 

 

僕の両親は警察で、母は結婚した時にやめて現在はパートのおばちゃんなのですが、

 

 

 

 

そんな母から、小さいころによく護身術を教えてもらいました。

 

 

 

 

 

護身術といっても、

小手返しや、つかまれた腕を振りほどく方法、

柔道の寝技と返し方など、

 

比較的難易度の低いものばかりなのですが、

 

 

 

 

それ以来、道端で急に襲われた時の対処法をよく考えるようになりました。

 

 

 

 

 

特に中学、高校の男子は、ろくに喧嘩もしたことないし、これからする予定もないのに無駄にYouTube喧嘩殺法胸倉をつかまれた時の対処法中国武術ステマなどを見漁ってイメトレを入念にやるじゃないですか(やりますよね?)。

 

 

 

ですがある時テレビで、

 

 

 

 

 

夜道で女性が変質者に襲われた時の対処法特集

 

 

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みたいなのをやっていて、

 

 

 

その時に紹介された

 

 

 

もっとも敵を撃退する成功率が高い方法

 

 

 

 

 

 

 

 

がなんと、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間をやめる

 

 

 

 

 

 

 

でした。(このようには紹介されていませんでしたが、ほぼ同義です)

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろんこれは石仮面を被るとか、人の思い出いっぱいのモンスターボールを奪うとかそんなんじゃなくて、

 

 

 

 

 

たとえば、

 

 

 

 

 

めちゃめちゃ変な顔をする

 

とか

 

糞尿を漏らす

 

とか

 

変な声を出しながら暴れる

 

 

 

 

 

とかを複合的にやるんです。

 

 

 

 

 

これによって相手は混乱ののちに襲う意志を失うそうです。

 

 

 

 

 

普通に考えるとめちゃめちゃやばくて、新しい技とかの紹介だと思って期待してみていた僕も、

 

「嘘だろ…」って感じで口あんぐりでした。

 

 

 

専門家っぽい人がまじめに話していたのでよく覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

ですが、現在の僕の考える最強の護身術は、この人間をやめる戦法と同じです。

 

 

 

 

 

護身術とは読んで字のごとく

 

 

身を護る術 なので、けがをしないことが最優先事項です。

 

 

 

 

それにはできる限り相手との距離を取って、かつ相手を無力化(身体的でも精神的でも)できることが理想です。

 

 

 

 

 

距離を取ることに関しては、暴れまわったり糞尿を漏らしたりすればいけます。

 

 

 

 

では、敵の無力化に関してですが、本当に相手は人間をやめた標的を見て戦意を喪失してくれるのでしょうか。

 

 

 

 

 

これに関しては、

 

アメリカの社会学者 チャールズ・クーリーの理論「鏡に映る自我」

 

を用いて説明しようと思います。

 

 

 

 

この理論は、自分から見た他人の自分に対するイメージが自我を形成する、というもので、

 

他者からみて自分がどう映るか、

他者から見て自分の行動はどう映るか、

それに対する自分の矜持や屈辱などの意識

 

の三要素が重要であるといいます。

 

 

 

要は、自分というものは他者からのレスポンスによってはじめて自覚できるものであるということです。

 

 

 

 

 

 

 

それでは、戦法と理論を具体的に状況と照らし合わせて見てみましょう。

 

ここからは僕の想像の世界ですので責任は一切取りません(取れません)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一般的に言われるサイコパスや変質者(露出狂や痴漢)というのは、犯行自体もそうですが、標的からのレスポンスが狙いである場合も多いです。

 

(痴漢や盗撮、万引きは中毒が原因にもなっていて、犯行の成果よりも犯行自体が目的になっている場合もありますがここでは置いておきます。)

 

 

 

つまり相手は、ある程度こちら(被害者側)の反応も予測しており、またそれが狙いであるということが多いのです。

これは、ターゲットからの、「貴方は異質な人間である」というレスポンスを待っているとも言えます。

 

 

計画的な犯行であればイメトレも十分済ませたでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう言うまでもありませんが、

この状況に対して、人間をやめる戦法は最も効果的であると言えます。

 

第一に、人間をやめることで相手の一番の目的である「予想通りのリアクション」を一挙に放棄することになります。

 

さらに、予想外の事実に対して、相手の中で情報が混乱します。

 

 

 

 

 

 

身近な例でいえば、

 

遅刻して絶対に怒られるという状況で、大好きだ―!と抱きしめられたら、わけがわからなくなりますよね。

 

人間は想定外の事態に弱いもので、それが対人間となると余計です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とまあ理論的に言えばこんな感じになるのですが、

 

 

 

変質者的にも怯えてくれると思ってたのに急に人間やめられたらたまったもんじゃないですよね。

 

 

まして、自分よりも異常なやつを見たら一気に冷めてしまうのも無理ないです。

 

特に、計画性なく、魔がさしての犯行の場合、根っからの異常者ではないという意味で冷めるきっかけは多いので、突発的な犯行にも有効です。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後におまけとして、

 

 

 

 

自分がちゃんと人間をやめれたかどうかを知るにはどうすればいいかについて

 

 

 

 

 

 

 

 

察しの良い方はわかったかもしれません、

 

 

 

 

 

 

 

そう、

 

 

 

 

 

 

 

 

相手が唖然としていたら、やめることに成功している証拠になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでもクーリーの理論が活かせるとは…!!

 

(わからない方は上に戻って復習)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

といった感じで今回はおしまいです。

 

 

 

 

 

闘わないことが幸せの秩序です。

 

 

 

いやほんと。

 

 

 

 

あと、

 

 

母のおかげで中学のときの柔道の授業、

 


いい成績取れました。

 

 

 

 

 

それではさようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<あとがき>

久しぶりにしっかり書いた気がする。

途中で中毒にふれたけど、盗撮とか、撮ってそれをどうにかするというより、キレイに撮れたかどうかが一番重要で、みたいな感じらしい。

 

やったらあかんって言われたことはとりあえずやってみる精神から抜け出せなくなってるんやなぁ。

 

 

 

 

 

飲んでます

どうも。

 

今日は中学時代の部活の先輩が神奈川から帰ってきて一緒に飲んでるのでお休みです。

 

 

初めてこんなに飲みました。

 

もうちょっとで吐きます。

 

 

 

 

誕生日プレゼントに炭酸作るやつとマキネッタのエスプレッソ作るやつ買ってもらったので、またいつかレビューしたいと思います。

 

 

 

 

それではさようなら。

 

 

 

 

 

 

<>

誰が貴方のために生きてくれるか

どうも。

 

 

 

 

 

駄菓子は都こんぶと梅ねりが好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、僕の経験談を踏まえた、

 

 

 

 

他者からの自分への悪口に対する考え方

 

 

 

 

 

 

 

を少しお話します。

 

 

 

 

僕の核心に迫る話をするため

 

 

 

ダークな要素が苦手な方はご注意を。

 

 

 

 

 

結論は、

 

「気にしない」 

 

に着地するのですが、悪口を気にせずにいられる人なら、今回の僕のブログなんて読まないです。

 

 

 

 

 

 

 

ですので今回は

 

 

気にしないための考え方をお話します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は結構思ったことを口にしてしまうタイプで、嫌なことは嫌だと言ったり、何も言わずにフェードアウトしたりします。

 

 

小学生の頃、上級ヒエラルキーにいる同級生の友達から毎日のように振られるフリに応えるのがいよいよめんどくさくなって、一人になってもいいから静かにストレスなく過ごしたいと心から願ったことがきっかけです。

 

 

 

なので、人間関係も比較的あっさりしているタイプだと思います。

 

場合によっては合わない人はバッサリ切るので。

 

 

 

 

そのかわり、合う人とはものすごく親密になります。

 

僕は、人を信じるときは裏切られても良いと思った人だけにしているので、人数は少なくなりますが、その分彼ら彼女らをものすごく大切にできます。

 

 

 

 

人に嫌われることは好きではありませんが、批判されたり馬鹿にされたりすることには結構耐性が付いてきました。

 

 

 

 

 

万人ウケする人は芸能人だけで充分だと思っているので、まさか自分がそんなことできるとも思わないし、したいとも思いません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の味方をしてくれるごく少数の大切な人たちがいてくれれば大丈夫です。

 

 

僕が失敗しても、悪いことをしても、味方である姿勢はそのままに話を聞いてくれます。

 

 

 

 

 

そんな、特別な人たちがいるにも関わらず、その辺のそこまで自分にとって重要でない人たちからの悪口なんて気にする必要なんてあるでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

僕の人生のモットーは、自分のために生きる です。

 

 

 

 

 

アドラー心理学の『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』を読んだ方ならわかると思いますが、

 

 

 

 

他人の期待に応える必要はありません。

 

 

 

 

 

小学生の僕が、もしあのまま上級ヒエラルキーの友達からのフリに応え続けたとして、彼らは僕を大切な仲間だと思ってくれるでしょうか。

 

 

 

 

 

“今いる組織は嫌だが、逃げだしたら陰口を言われそうでできない。”

 

 

 

 

 

貴方がいないところでその人たちが陰口を言ったとして、あなたへの評価を下げたとして、もし貴方が完全に組織との縁を切ることができれば、貴方の耳に直接入ることは絶対にないはずです。

 

 

ですがもし、「仲のいい人だけは…」とつながっておきたいのであれば、貴方もそれなりの覚悟をしておくべきです。

 

 

 

 

 

 

 

 さらに、「彼らが知る貴方」は「貴方がいなくなるまでの貴方」であって、その後の貴方を知りません。

 

 

 

 

 

 

 

 

つまり、組織を出てから貴方が表面的でも精神的でも変われば変わるほど、貴方への悪口は的外れになっていくように思いませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もし何かの濡れ衣などで組織を追いやられて、やむを得ず出なければならなかった場合にも同じことが言えます。

 

 

 

 

 

 

 

事実と真実は違います。

 

 

 

 

 

 

事実は、彼らの中で蔓延する、彼らが思い描くくだらないストーリーです。

 

 

 

 

真実は、貴方が知っている本当のことです。

 

 

 

 

 

 

事実に基づいて勝手にわめいている人たちからの評価は、貴方にとって重要でしょうか。

 

 

 

 

 

 

真実を知っている貴方は、堂々と冷静に次のことを考えればいいはずです。

 

 

 

 

 

 

 

僕は昔、上記のような体験をした際、既存の言葉に付け加えてこの言葉を作りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「死人に口なし、耳もなし。」

 

 

 

 

 

 

 

僕が死人です。

 

 

 

 

 

 

死んでいるので、蔓延している事実に対して弁明できません。

 

 

 

 

 

 

 

ですがそれと同時に、組織を出る際に一切の繋がりをすべて断ち切ったので、

 

その後の応報は全く僕の耳には届きません。

 

 

 

 

死人は反抗こそできませんが、敵からの攻撃もノーダメージです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考え込んでしまう人は、多くの場合想像力が豊かで、言われてないことでも、

 

「あの人はこんなこと言いそう」と自分でイメージして、

 

実際に言われたのと同じぐらいのダメージを喰らったりします。

 

 

 

 

 

 

 

素晴らしいことだと思います。

 

 

きっと、その人のことをよく観察し、よく知り、気分を害さないようにしよう、喜んでもらおう、と努力した過去があるんじゃないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人の感情をいち早く察知する人ほどその傾向があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他人の感情が廃油のようにドロッとまとわりつく息苦しさがあります。

 

 

 

 

ですが、その廃油の処理は、貴方の仕事ではありません。

 

 

気にしなくていいです。

 

 

 

気にしなくなれば、廃油もいつの間にか見当たらなくなります。

 

 

 

 

だから、僕は僕のために生きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、

 

 

こんな感じで今日は終わります。

 

悩みは、悩むから悩みになります。

 

同じことに出くわしても、悩まない人からするとそれは悩みじゃありません。

 

 

 

 

 

 

 

あと、アドラーの信者ではありませんが、影響は少なからず受けています。

本も結構有名で読みやすいですので、興味のある方はぜひ。

 

 

 

 

 

また次回お会いしましょう。

 

 

 

 

 

それではさようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<あとがき>

人生セミハードモードぐらいの自負はある。

 

そろそろアドセンス登録をしようと考えているが、何からしていいのかよくわからない。お金はかけたくないが、PROにしなければいけないなら致し方ないか。

 

高校時代のポジション

どうも。

 

 

 

 

 

ようやく明後日に髪を切りに行くことになりました(快挙)

 

 

 

朝の寝ぐせやセットがいよいよ耐えられないほど面倒になってきたので、

 

今日の夕方に抵抗する脳みそを止めて電話しました。

 

 

 

おかしな話ですが、やっと切れるという安心感があります。

 

(さっさと切ればいいものを。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は用事があって、久しぶりにスーツを着ました。

 

 

 

 

 

ネクタイも3年ぶりぐらいに結んだ気がします。

 

 

 

 

高校が結ぶタイプのネクタイとローファーだったので、結ぶのにも固い靴にも慣れています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうだ。

 

 

 

今日は特に書くことも決めずに書き始めましたが、

 

 

 

 

せっかくなので高校時代の話でもしましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が通っていた高校は、自称進学校(笑)っていわれるぐらいの

 

めちゃめちゃ中途半端な学力の高校でした。

 

 

 

 

 

 

 

クラス内での僕は、いてもいなくても周りには何の影響もないぐらい目立たない人だったと思います。

 

 

 

三者面談も、高3の大事な時期でさえ5分ぐらいで終わるぐらい、先生にとっても楽な生徒だったと思います。

 

 

 

部活の同期が僕を含め4人しかいなかったこともあって、密度の高い友達は多くはありませんでしたが、誰とでも話はしてました。

 

 

 

 

 

 

いま思い出してみても、マジで空気だったんだなと思います。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

部活はバレー部でした。

中学からそのまま続けました。

 

中学の時はセッターだったのですが、ものすごく嫌だったので、試合に出れなくてもいいからアタッカーをやりたいと宣言していました。

 

 

 

 

最終的には、先ほども述べたように同期の人数が少なかったのでアタッカーにはなれました。

 

 

 

 

 

が、一度も公式戦にスタメンで出ることなく辞めることになります。

 

その話はまた今度。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

受験勉強は、高2の秋から始めました。

 

 

 

塾の英語の先生に一度センターを解いてみろと言われ、一番自信のあった科目だったのである程度は取れるだろうと思っていたのですが、

 

時間は足りないわ間違えまくってるわの惨劇でした。

 

 

この瞬間に受験勉強のスイッチが入りました。

 

 

 

 

 

 

学校では休み時間ずっと『Vintage』という文法の参考書を解き続け、

 

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これこれ。なつかしい。

 

学校帰りには自習室でセンターの過去問を借りて大問ごとに演習

 

 

 

みたいな日々でした。

 

 

 

 

3年の7月までにセンターの本1冊、試験にして約30回分(追試を含む)を一周やり終えている状態でした。

 

(ここまでやっても試験当日になると思うような点は取れないものです)

 

 

 

 

3年の10月ごろには周囲から

「センターの英語攻略法おじさん」

みたいな扱いを受けました。

いっぱいやっただけで実力があるとは限らないのにも関わらず。

 

 

 

 

聞かれたらちゃんとアドバイスはしますし、悪い気はしなかったですがそれ以上に、

 

 

 

「頼むから点が取れなくても俺のせいにはするなよ。」

 

 

 

 

という気持ちでいっぱいでしたし、実際強く念押しをしまくっていました。

 

 

 

 

 

また、

 

これぐらいの時期になると皆の意識は完全に受験勉強に向いているので、

 

周囲のみんなは学校の勉強をおろそかにしがちになります。

 

 

それを知っている僕は、テスト週間にテスト対策をめちゃめちゃやりこんで今までに取ったことのないような良い順位を頂戴するみたいな遊びをしていました。

 

 

その時の僕の持論(言い訳)は、

 

「学校の勉強もまともにできないやつが

受験に受かるわけがない」

 

 

 

 

 

 

まあでもそのとおりではあると今でも思います。

 

大学でもそうですが、授業中に寝てもちゃんと点が取れるやつは本当に要領が良いやつだけで、必ずしも全員が真似できることじゃないです。

 

 

自分がどれだけやればどれだけできるようになるのか

 

を早い段階で見つけることが重要です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、

 

 

 

 

 

 

 

まあ、改めて振り返ってみると

 

僕は結構ひねくれた人間だったんだなと再認しました(今もか)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず勉強してりゃ、何も考えずに済むし、親にも先生にも怒られないし、行きたい大学にも行けるので、

 

 

高校生のみなさんはとりあえず勉強しておきなさい。

 

 

 

 

 

 

 

というわけで今日はこれでおわりにします。

 

 

 

今回も読みに来てくださってありがとうございました。

 

 

 

 

また次回お会いしましょう。

 

 

 

 

それではさようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<あとがき>

受験勉強何から始めたらいいかわからん!って人は、過去問開いてみることをお勧めする。

自分のできなさを大事な時期に知るよりよっぽど安全だと思う。

 

 

 

白髪のひげが抜けた。

まだ二十代なんですけど。

 

えぇ…

移住してぇ。

どうも。

 

 

本題の前にご報告です。

 

 

 

 

 

 

 

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ついに月間500PV達成しました。

 

いつも応援してくださっている方々

 

本当に、感謝しております。

 

がんばりますね。

 

これからも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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すごい気になるんですよねこれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月にSwitchから発売する

 

『あつまれ どうぶつの森

 

通称 あつ森

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学生の頃DSの方をめちゃめちゃやり込んだ記憶があります。

 

 

 

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どうぶつの森シリーズは後にも先にもそれっきりなのですが、今になって新作がものすごく気になるんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近YouTubeで公開されたPVとかを見あさっているのですが、

 

 

あの自由度の高さは憧れます。

 

 

 

 

 

 

 

移住パッケージプランという名目で移り住むくせに、最終的にはインフラ整備島全体の改造までできてしまうというぶっ飛び具合。

 

 

 

 

 

しかし、DSの頃と違って、自由度が高すぎるというのも若干ネックでもあります。

 

 

 

 

 

魚や虫やカセキを集めたり、村人と仲良くなったりいじめ倒して引っ越しに追いやったりするのがどう森の醍醐味だと思うので、

 

 

 

 

 

 

道路とかを敷いたり土地自体をいじり始めると、

やることが漠然として果てしなくなってしまって、今までのようなスローライフを送れなくなりそうな気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに、Switch本体を持っていないことも課題の一つであります。

 

 

去年のこの時期に一度買ったのですが、なかなか忙しく遊ぶ暇がなかったので知人に売りました。

 

 

 

 

しかし聞くところによると、

 

Switch  Lite なるものが発売されるみたいで、一応購入する候補には挙がっています。

 

 

 

 

なんでも、テレビに繋いだりジョイコンを分離させて遊ぶ系はできないけど、

 

初期に比べて小型化したことにより持ち運びに特化し、

 

初期のSwitchより1万円安い価格設定らしいので、

 

 

 

 

元々家にテレビがなく、

ジョイコンを分離させるほどアクティブなゲームもする予定はない僕にとっては良いことだらけの代物となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあこれらは全て一人で遊ぶことが前提なんですが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一緒に遊ぶ友だちがいれば

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

即、買いなんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

あーあ。

 

 

 

 

 

 

てことで、

 

 

 

 

 

今回はこの辺で勘弁してください。

 

 

 

 

あー欲しい。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

今回も読みに来てくださってありがとうございました。

 

 

 

 

 

また次回お会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

それではさようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈あとがき〉

もうちょっと安かったらなぁ。

たっけぇのよなぁ。

 

ハードとソフトで通学定期3ヶ月分と一緒なんだもの。

きっついなぁー。

 

ほしいなぁー。

 

レトルトさんの実況見て欲しさが加速中。