eve-イヴ-のアタマの中

世界一の無駄話。料理 趣味 学問 思いつき ダイエット

才能にころされる

どうも。

 

 

 

今日ははじめに、皆さんに謝罪(?)みたいなのがあります。

 

このブログを始めて2週間が経ちました。

 

しかし(なので、といった方が正確かもしれない)、このブログの使い方がまだちゃんとわかっておらず、至らぬ点が多いことは皆さんにも伝わっているかと思います。

 

 

 

このことが最近目立ってきまして、というのも、近ごろ喜ばしいことに読んでくださる方が増え、ブログにコメントやブックマーク(?)をして下さる方もちらほらいて下さるんですね。

 

 

 

そして今僕が直面している問題が

 

ブックマークってなんですか? 

コメントには返信できるんですか?

 

という問題です。

どうか、知ってらっしゃる方、教えていただけると非常にありがたいです。

 

 

 

あと、ついでというかたちにはなってしまいますがこの場を借りて、

misojinokinpathiseikathu1様、momiji_diary様(アルファベット順)に謝罪とお礼を申し上げたいと思います。

 

いつも読んでくださりありがとうございます!

ブックマークのコメントにすぐに反応することができず申し訳ありませんでした。

僕には星を連打することしかできませんでした…笑

これからもよろしくお願いします!!

 

 

 

 

いつも読んでくださっている方々も、本当に感謝しています。

 

これからも頑張りますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは今日の本題に入ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の話は、才能とか努力とかの話をしようかなと思います。

 

 

 

 

 

 

僕には、才能という言葉には縁がありません。

いや、苦しめられたという点ではものすごく因縁があるのかもしれない。

 

 

 

僕は、

 

勉強

部活(運動)も

仕事

 

これっぽっちも才能が有りません。

 

 

なので、様々な分野において才能がある人たちがものすごくうらやましかったです。

 

なぜ過去形なのかというと、今ではそうは思わなくなったからです。

 

 

理由は2つ 

 

 

少しずつ簡潔に説明していきます。

 

 

 

 

1.才能は努力を否定する

高校時代、勉強はできるかどうかに限らず嫌いではなかったうえ、3年間も塾に通わせてもらっていたこともあって、3年になる頃だと校内では真ん中より上の方でした。

 

 

 

テストや成績が返却されると始まる恒例の見せ合いタイム。

 

周囲の人は僕の点数を見ると

 

「えーな―、ちょっとやったらできて」的なことをよく言いました。

 

受験期も、センターをどれぐらいとれるかみたいな話になっても、僕はその場を立ち去るようなこともありました。

「お前はどーせいい点取れるんやろ」

って顔が、話の初めに半数から向けられていた(気がした)からです。

 

僕も、この大問苦手やわ、とか、2014年の英語むずくなかった?とか話したかったです。

 

 

 

僕は、勉強の才能は有りません。

 

小学校の頃も、三段階(△ 〇 ◎)の評価で、25個ぐらいある項目の中から◎が5個でもあれば歓喜するほどでした。

 

中学に入ってからは、父親に怒られないためにテスト期間泣きながら勉強していた記憶もあります。

 

高校、特に高2の冬以降なんかは、親が離婚の危機になり、何としても父親に大学の学費を払わせるために、「僕はあんたより上の大学に行ける学力がある」と証明するべく模試で判定を上げ続けるために必死でした。

 

(僕の家庭は少し荒れていたので、想像しながら読んでいただけると助かります)

 

 

そんななか、

 

「才能があっていいな」

 

という言葉が、どれだけ人の努力を否定するのに適切な言葉かわかりません。

 

もっとも、当時も今もそういう風なことを言われても笑ってごまかしますが、

 

「よくもそんな事を…!!」(グレタ風味)

 

って思います。

 

 

 

結果というのは現在にしか見えません。

その結果が生まれた努力の過程を垣間見るには、想像力が必要になります。

 

 

 

そしてこの想像力の主成分は 思いやり だと、僕は思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.才能は多様性を無くす

一つだけ、とびっきり秀でた才能があったら、皆さんはどうするでしょう。

 

僕は、才能を努力で勝てない領域のことだと定義していますが、各界のスターたち、オリンピック選手などは才能の持ち主であると言えます。

 

彼らはそれぞれの分野で特化し、それで食べていける方も多いと勝手に思っていますが、そこまでは至らない、いわゆる「体育の授業で活躍できるレベル」の才能を持った人たちはどうでしょう。

 

僕の友達にもいろいろいますが、中途半端に才能を持ったばかりに、それしかしない、できない、という人も、僕の人生には何人かいました。

 

彼ら彼女らを見ていて、その都度こう思いました。

 

「なんにも才能無くてよかった」(アホ面を添えて)

 

 

なんか、才能のせいで苦しんでいるようにしか見えなかったんです。

 

 

好きでやっていての苦悩と、とりあえず続けていての苦悩では、同じ悩んでいる姿を見ても一目瞭然です。

 

 

その点僕はなんにも才能がないし、逆にある程度頑張ればある程度のレベルまでは行けるということも勉強を通じて知っているので、いろいろと手を出してはやめるみたいなことも平気でします。

 

 

才能があるからやらなきゃいけない、という周りの雰囲気に殺されることが一番の問題だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、こんな感じで、才能っていう言葉についての僕の考えを話しました。

 

皆さんも、

 

一度身の回りの人などを思い浮かべてみてください

 

その人の見方が変わるかもしれませんよ。

 

 

 

 

 

 

それではさようなら。

 

 

 

 

 

 

 

<あとがき>

今度は部活についてでも話そうかな。

中学、高校とバレーボールをやってたので、そんときの話でも。

 

 

 

漫画っていいよなぁ

どうも。

 

 

最近よく聞く、鬼滅の刃 って面白いんですか?

 

 

あの橋本環奈さんも愛読しているそうで、この前行った本屋さんでは1~5巻ぐらいまでが入荷待ちの状態でした。

 

 

 

僕の一番好きな漫画はナルトで、その次にハマったのが東京喰種でした。

ナルトは今でもしょっちゅう読み返しますし、人生の教本といってもいいぐらい深い漫画だと思います。

 

子どもの頃と今とで同じシーンでも全然感じることが変わりますからね。

 

( この現象に関しては↓の記事で話していますので興味がある方はどうぞ。)

eve4049.hatenablog.com

 

東京喰種に関しても、僕のコーヒーの趣味やドイツ語の学習(大学でドイツ語を少しばかり学んでいます)なんかは完全にここから影響を受けてます。

 

 

 

 

とまあ僕の話は置いておいて、

 

 

 

 

 

男の子が興奮する漫画といえば、

大体能力系属性系流派系ですよね。

 

 

どんな能力が欲しいかなんて、ドラえもんの秘密道具何が欲しいか選手権バリに話し出すと止まらなくなること請け合いです。

 

 

そう考えると、いまちらっとWikipedia鬼滅の刃を調べてきましたが、おおよそ全ての要素が含まれているように思いました。

 

 

 

主人公の嗅覚(能力)

各キャラの呼吸法(属性、流派)  などなど

 

 

漫画のセオリーであるキャラの配色(代表的なのは、主人公に赤を用いること)もちゃんと守っているようなので、ウケる漫画であって然るべきって感じですね。

 

 

しかし聞くところによると、連載開始から現在の爆発的な人気に至るまで、結構な期間くすぶっていたそうな。

 

 

 

そんなこと言われると輪をかけて興味が湧きますね。笑

(この記事を書き終えたらYouTubeでアニメを見始めることになりそうです。)

 

 

 

僕の性格的に、漫画のみならず人気のものや流行に対して、初手は必ず否定的な立場をとるので、いま調べてめちゃめちゃよかったなと思ってます…笑

 

 

 

春休みはナルトを1巻から読み返す予定なので、この漫画との出会いや紹介をいつの日かしようと考えています。

 

 

しかし、その前にもしかしたら「鬼滅読み始めましたー!」みたいなこと言い始めるかもしれません(わりとまじめに)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんのおすすめの漫画はありますか?

 

 

教えていただけたら手を出しますので是非教えてください!!

 

 

 

ちなみに、ナルトと喰種以外に、ジョジョの奇妙な冒険(5部まで)、べるぜバブは全部読みました。

 

どれも大好きなのでおすすめですよ!

 

 

 

 

といった感じで、今日はめちゃめちゃゆるゆるの回でしたが終わりにしようと思います。

 

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

また次の記事でお会いしましょう。

 

 

 

それではさようなら。

 

 

 

 (今回触れた記事を再掲しておきます)

eve4049.hatenablog.com

 

 

 

 

<あとがき>

呼吸法とかツェペリやんって思ってしまった。

フルーツの種から作った飲み物 コーヒー

どうも。

 

 

 

今日は奈良まで行ってきた話をしようと思います。

 

 

ROKUMEI COFFEE CO.

 

ってご存知でしょうか。

https://www.rococo-coffee.co.jp/smp/

 

 

僕も、テレビで見た友達に教えてもらって知りました。

 

そして先日その友人と一緒にこちらのお店を目掛けて、このお店のためだけに奈良まで行ってきました。笑

 

 今日はこのROKUMEI COFFEE CO. の紹介をしようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

こちらのお店はスペシャルティコーヒーを専門に取り扱っているお店です。

 

 

 

 

 

近鉄奈良駅の近くにあるカフェスペースがメインの店舗と、そこから電車で富雄駅まで、駅から川沿いに20分ほど歩いたところにカフェ兼焙煎場の二ヶ所があります。

 

 

 

・ROKUMEI COFFEE CO. NARA
奈良県奈良市西御門町31
TEL:0742-23-4075
10:00~18:00(定休日 火)

 


・ROKUMEI COFFEE CO. TOMIO ROASTERY
奈良県奈良市 三碓7丁目29-1
TEL:0742-93-5544
10:00~18:00(定休日 火)

 

f:id:eve4049:20200203202920j:image


f:id:eve4049:20200203202928j:image

上の2枚は近鉄奈良駅のカフェです。

こちらでも豆やグッズが買えます。

ここでエチオピアと一緒にいただいたフレンチクロワッサンが悪魔的なおいしさでした。

 

 


f:id:eve4049:20200203202910j:image
f:id:eve4049:20200203202925j:image

こちらの2枚はカフェ兼焙煎場です。

 

最寄りの富雄駅からは徒歩20分(奈良駅の店舗からだと30分ちょっとぐらいかかりました)と少し遠いですが、ここには奈良駅の店舗の倍以上豆の種類があるので、こちらも必見です。

 

 

奥には巨大な焙煎機が見えますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このお店を営んでいる井田浩司さんは、ロースターでもあります。

それも、焙煎技術の日本一を決めるジャパンロースティングチャンピオンシップ2018で優勝された、日本一のロースターです。

 

先日開催された世界大会にも出場されたそうです。

結果は真ん中ぐらいの順位(従業員さん談)だったそうですが、それでも十分すごいですよね…

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらで扱っている豆はすべて井田さんが焙煎されたものを使用していて、冒頭にも述べた通りすべてスペシャルティのランクのものです。

 

 

 

 

スペシャルティとは、市場に数%しか流通していない高品質な豆で、選定基準は流通の明確さ(農園から店頭までの流れが明確であること)など様々ありますが、最も重要なのは何と言っても香りです。

 

 

オレンジの酸味チョコのような香りベリー系の甘酸っぱさナッツのような香ばしさ…

 

 

 

 

全部本当に何の誇張もなく素人にもわかるレベルでわかります。

 

 

 

 

 

 

シングルオリジンといって、

ブレンドではなく単体の種類豆本来が持つ特性を最大限に生かした楽しみ方ができるのが、スペシャルティコーヒーの真骨頂です。

 

また、これは豆によりますが、焙煎度合いも比較的浅めで、

 

 

コーヒー=苦い   という固定観念がぶっ飛びます。

 

 

 (コーヒーの苦み焙煎での焦げによるものなので、浅煎りの場合は苦みが抑えられ、フルーティーなフレーバーが楽しめるというわけです。)

 

 

 コーヒーが果実の種であったことが思い出されるような体験ができます。

 

 

 

 

富雄の焙煎所ではそんな素晴らしいコーヒーを12種類

 

ブレンドも合わせれば17種類(来店当時)も取り扱っています。

 

 

 

 

 

 

ですが、

 

 

 

「そんなこと言われても、コーヒーの味なんて一緒でしょ」

 

 

 

 

 

「いっぱいあったら逆にどうしていいかわからない」

 

 

 

 

 

などなど思われる方も多いと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしご安心ください!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとすべての豆ブレンド含む)を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度でも試飲することができるんです!!!

 

 

 

f:id:eve4049:20200204232302j:plain

これ全部試飲できます



 

 

 

僕もお店の方とお話ししながら気が付くと全種類いただいていました…(笑)

 

 

 

 

 

豆ごとに産地などの詳細とフレーバーが記載されているカードがあるので、このスペースだけでも十分楽しめてしまいます。

 

 

一つ一つ本当に味や香りが全然違います。

 

コーヒー以外に何か混ぜてるんじゃないかと思うぐらい違います。

 

 

しかし、目の前でドリップしてくれるのでじっと見ていましたが、なにも入れていませんでした(笑)。

 

 

 

 

 

 

また、3種飲み比べができる注文方法もあるみたいなので、一つに絞れなくても安心ですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらにさらに、グッズコーナーにはコーヒーを淹れるのに必要な、

  • ミル(豆を粉にする道具)
  • ドリッパーペーパーフィルター(コーヒーを淹れるときのあれ)
  • ドリップケトル(お湯を注ぐやつ)
  • サーバー(抽出したコーヒーを受ける瓶)
  • スケール(計り タイマー機能付きの高性能なものでした)

 

がすべてあったので、

一度にここで買いそろえて、

その日から夢のコーヒーライフを始めることもできちゃいます!!!

 

 

f:id:eve4049:20200204233828j:plain

富雄の方ではブラジルをいただきました

 

 

 

 

 

 

 

といった感じで、以上、ROKUMEI COFFEE CO. の紹介でした。

 

 

 

 

 

  • コーヒーが飲めない方

 

  • あまり詳しくない方

 

  • 探求したい方

 

 

 

など、どんな方でも楽しめるカフェですので、ぜひ足を運んでみてください!!

 

 

 

 

ほんとに、これだけのためにでも行く価値アリです…!!

 

 

詳細はこちらへ

www.rococo-coffee.co.jp

 

富雄の方は車でも行けますが、奈良駅の方はタイムズなどほかの駐車場を利用する必要があるかと思いますのでご注意ください。

f:id:eve4049:20200204233451j:plain

ミカサブレンドとブラジルを100gずつ購入しました

時間を置くと内容が変わる本

どうも。

 

 

 

はじめに、1つご報告があります。

 

Twitterでも言いましたが、

 

 

 

 

 

 

 

本日 (2020/02/02)、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログ投稿12日目にして、

 

 

 

 

おかげさまで 総アクセス数 100 を突破いたしました。

 

 

 

 

皆さん、本当にありがとうございます。

 

 

 

長年続けてらっしゃる方からすれば小さな一歩に見えるかもしれませんが、僕としては非常に大きな一歩に感じます。

 

 

 

読者の皆さんのおかげで僕は投稿が続けられています(真剣に)。

 

 

 

 

特に1度ならず2度、3度と読んでいただいている方には本当に感謝しております。

 

 

 

 

 

 

今後も、皆さんに楽しんでもらえるよう日々試行錯誤しながら頑張っていこうと思います。

 

 

 

 

今後とも、イヴのアタマの中 をどうぞよろしくお願いします!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、今日の記事にはいります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はいつもと少しだけ雰囲気が変わる内容になると思います。

 

 

 

 

いつもは社会学から話を引っ張ってきているのですが、

 

 

今回は、 解釈学 という分野から話をしようと思います。

 

 

 

 

 

専門分野ではないので極めてピンポイントな知識でもって話をするので、

どうしても説明に不足が生じるかもしれませんがあらかじめご了承ください。

 

 

 

まず、解釈学についてなのですが、読んで字のごとく、

 

物事を解釈することに特化した学問分野であります。

 

 

 

 

もう少し柔らかく言えば、何かに対する

 

「理解」であったり、

「とらえ方」であったり、

文学や文献の「読み方」

などに関する体系的な理論を研究する分野で、哲学に内包されるもの

 

 

といった感じです。

 

 

 

その中で今回は、「読み方」についてのお話になります。

 

 

 

それではさっそくいきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、一つだけ用語を覚えてもらいます。

 

 

覚えてもらう用語は

 

 

「前理解(ぜんりかい)」 という用語です。

 

これは、その人がすでに持っている知識、解釈のことを指していて、常に変化し続けるものです。

 

とりあえずこれだけでも覚えていってほしいです。

 

 

それでは本編へ

 

 

 

 

 

 

 

皆さんの中には、こんな体験をした方いらっしゃるんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

「この本、前に読んだときは全然面白くなかったのに、今読んだらすごい面白い」

 

 

 

「昔めちゃめちゃハマった本なのに、今読んでもそんなに響かないな」

 

 

 

 

この現象について、解釈学から説明します。

 

 

まず「本との出会い、読書」のことを

 

ここではひとまず 対話と呼ぶことにします。

 

 

 

対話における理解において、当事者依存というものがあります。

 

これは、

  1. 理解する者
  2. 理解されるもの(今回は本ですが人でもOK)

 

の両者が、常に変化する可能性がある、というものです。

 

 

 

 

ゆっくり順番に一つずつ見ていきましょう。

 

 

 

 

1.について

まず、理解する者が変化する可能性があるというのは、いろんな人が本を読むということではなく、

一人の人間が様々な経験を通して、その人自身の内面、すなわち、先ほど覚えていただいた「前理解」が変化していくということを指します。

 

2.について

これもまた、読む本が変わるという意味ではありません。

これは、

本自体の社会的評価や価値

ひいてはそれを読むという

行為自体の価値が変化する、ということです。

 

聖書なんかは何世紀も読まれてきたので譬えやすいですが、キリスト教が弾圧されていた時代、またはされている文化、地域で読むのと、認められている環境で読むのとでは、いろいろと違ってくるのはイメージできますよね。

 

 

 

 

 

これらを用いて、具体的な例に沿って話をすると、

 

 

”五年前に読んだ本を今読むと、とても面白かった。”

 

 

とする。

 

これは、の読んでいるその人の前理解が変化し、内容の意味のとらえ方の多様化や、読解力の向上が認められます。

に関して言えば、その本が社会的に再評価されたり、初めの高評価が維持されていると、その維持されていること自体が評価として加えられたりしている可能性がある。

 

 

という説明ができます。

 

 

また、この場合は、

 

5年前の時点での「未知の本」

 

と現在の「一度読んだ本」

 

 

という意味で、本自体の変化も考えられます。

 

 

 

 

 

 

といった感じで今回はここまでとします。

 

 

 

解釈学は僕の知る範囲だけでももっともっとたくさんあるので、

 

すこしずつこの場で共有していこうと思っています。

 

 

 

今回も読んでいただきありがとうございました。

 

また次回お会いしましょう。

 

 

それではさようなら。

 

 

 

 

<あとがき>

いかんせん哲学チックな話は文章だけじゃ伝えられない感じがあって難しい。

いろんなところにつながっていたりしてて、そもそも持っている資料をまとめるのが難しい。

 

 

あ、

 

問題です。

 

 

 

本稿で、これだけは覚えてほしいって言った用語は何だったでしょう?

 

説明できるまでできる方は最強です。

 

 

 

 

すっごい後悔した事

どうも。

 

今日は出先でPCや資料がないので短めです。

 

 

 

皆さんは成人したとき、

成人式とか

同窓会とか

 

って行きましたか?

 

 

 

僕は

 

どちらも行きませんでした。

 

 

 

理由は3つ

  • 正装がめんどくさい
  • 費用がシャレにならない
  • 特別会う友達がいない(会いたい人はすぐ会える)

 

 

 

 

 

まず、その日に着るスーツなんですが、僕は1着しか持ってない上に大学の入学式以来着てないし、そもそも春ものなのであの時期に着るには寒すぎるんですよね。

新しく買うにもすっごい高いですし、親に言えば買ってもらえるんでしょうけどそこまでの価値を感じませんでした。

 

同窓会は中学、高校とあって、両方8500円ぐらいしてたので、これまた行く気にならんのですよ。

会いたい人には卒業後も連絡して会っていますし、会わない人は二度と合わなくて差し支えないだろうと思いました。

 

 

 

 

 

 

そう思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、

 

インスタなどを見ていると、

 

 

 

 

 

 

 

 

行けばよかったかもしれない。

 

行きたかった。

 

 

 

 

 

 

と、驚くほど強烈に思いました。

 

 

 

 

 

 

行くか悩んでる方、行かないと決めている方

 

行かないともう人に言ってしまって、変な意地を張っている方

 

 

 

 

行った方がいいと思います。

 

 

 

二度とないので。

 

 

 

後から写真を見て、

ちっとも会いたいと思わなかった人が見違えるように大人になっていて、是非会って話したいと思っても

 

 

 

その時その場面ではもう会えないんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

行ってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで今日は、

 

 

 

 

 

成人式には行ってくれ

 

 

 

 

 

 

っていうお話でした。笑

 

すごい後悔したので…笑

 

 

 

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

今回はあとがきもありません。

次回はもう少し内容の詰まった話しますね。

 

 

 

それではさようなら。

男が奢るって決めたやつ呼んで来い

どうも。

 

日本人って、芸能人のスキャンダル大好きですよね。

日本人というよりはメディアなんですけど。

まあ飛ぶように売れるからメディアが取り上げて、結局はみんな大好きってことになるんですけども。

 

皆さんはどうですか?

僕は個人的には全く興味がなく(読んでくださってる皆さんの大半がそうだと思いますが)、むしろそっとしといてやれって思います。

 

結婚率の低下や熟年離婚など、最近家族や恋愛に関してあまり良いニュースを聞かないですね。

こんなんだからみんな嫌になっちゃうんですよね…

 

でも、現代のコミュニケーション能力や察することが求められる社会において、互いに理解し合い、良い関係を長期的に継続することって、改めて考えるとめちゃめちゃ難しいですよね。

 

(若者のコミュニケーション能力についてはこちらで少し話してます。)

eve4049.hatenablog.com

 

 

というわけで今回は、

結婚・恋愛メディア

に関して、少しお話しようと思います。

 

と言っても、今回のメディアとは媒体という意味で、マスメディアとは異なりますので誤解の無いようお願いします。

 

 

それではいきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、我々が普段行っているコミュニケーションというものが、

ものすごく繊細で、

不安定で、

不確実で、

非常に高度な作業であることを皆さんに知ってもらいます。

 

 

 

 

 

皆さんは、相手のことをまるっきり理解できていると思いますか?

 

 

 

 

 

 

冷静に考えれば、答えはNOのはずです。

 

 

 

 

 

しかし、こうやって立ち止まって考えて初めて、それを自覚するということもまた事実です。

 

 

 

なぜなら、日々のそれとない会話の中で、「今の彼の興奮具合はこれぐらいだと思うけど、これは私の主観で決めていることで実際はそうとも限らないから…」みたいなことをいちいち考えないですよね。

 

 

 

 

大体の感情の動きや意図は、それまでの会話や自分の知っている範囲での相手の情報と照らし合わせて予測します。

 

 

 

 

この作業を互いに行い、不確定性を無視することで円滑にコミュニケーションを進めていきます。

 

 

 

 

これを

ダブル・コンティンジェンシー(二重の偶然)

と呼びます。

 

 

 

要は、互いに完全に理解しないまま進行している状態です。

 

 

 

 

 

 

この状態を解消するための道具として用いられるのが、メディア(媒体)

になります。

 

 

 

 

これだけの説明だとよくわからないと思います。

 

 

 

僕も「これは、どうしよう。」と思いながら書いています。笑

 

 

 

 

例えば。

 

 

経済の話をするためにはお金がメディアになります。

お金という共通の概念がなければ、経済について話をすることができません。

 

 

 

 

 

法廷では、法律というメディアが必要になります。

法律という共通のルールがなければ、人を裁くことはできません。

 

 

 

 

 

 

宗教においてはどうでしょう。

無論、宗教では神や経典が共通認識のメディアとなります。

 

 

 

 

どうでしょう。

少しイメージしやすくなったでしょうか。

 

 

 

 

 

 

このように、共通のルール・規範・概念が存在することで、二者間のコミュニケーションに一貫性が生まれます。

 

 

 

その場での、とりあえずの正義、正解のような感じです。

 

 

 

 

 

もちろん、二者間でメディアそのものに対する認識の違いがあることもありますが、同じ文化や社会集団であればあるほど、差異は小さくなります。

 

 

 

逆に言えば、カルチャーショックなんかはこの辺からでも説明できますね。

 

 

 

 

 

 

それはさておき、

 

 

 

 

簡単に言えば、コミュニケーションにおいて、

二人の間に一つ軸を置いてあげれば、互いの理解の助けになる、ということです。

 

 

 

 

 

では、それが結婚・恋愛にどう関係があるのか。

 

 

 

 

察しの良い方、その通りです。

 

 

 

 

 

 

ここまでの話の流れでいくと、

 

恋愛とは、結婚について話すためのメディアである

 

ということがいえます。

 

 

 

 

 

そしてこの認識が当たり前になったのは、つい最近の話なのです。

 

 

 

 

一昔前(封建時代)までは、結婚のメディアは身分でした。

同じ身分の人と結婚するのが当たり前で、身分を越える結婚はご法度でした。

 

 

 

しかし現代ではご存じの通り、

結婚といえば恋愛結婚が専ら主流になっています。

 

 

 

 

では、コミュニケーションのメディアとしての恋愛が、二者間の理解をどのように助けるのかについて、なのですが、

 

 

例えば、

 

 

 

”もし恋愛が存在しなかったら” と仮定して考えてみて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

恋愛というメディア抜きに結婚について男女で話を進めることができるでしょうか。

 

 

 

 

たぶん、少なくとも現代社会においては、できないです。

 

 

 

 

 

 

詳しく説明すると、

互いに好意を持っているという状態である=恋愛

という共通認識があるおかげで、それを踏まえた話ができるわけです。

 

 

さらに、あらゆるメディア(この場合は本やドラマや、恋愛についての情報の媒体)を通して、理想の恋愛とはどのようなものかを共有し洗練することで、「どうすればいいかわからない」という状態から、「こうすればきっと喜んでもらえる」という展望も見えるようになります。

 

 

 

 

 

 

良くあるじゃないですか。

「ふつー男が奢るもんじゃん」とか「おそろいのネックレス嬉しい!」みたいな。

 

 

 

 

これらは「恋愛」という、いわばルールというか、理想というか、メディアによるものだということができるんです。

 

 

 

 

 

 

そして最終的に、この恋愛というメディアを通して何度も何度も塗り重ねられたコミュニケーションのゴールでありスタートであるのが結婚となるわけです。

 

 

 

 

よく、「何十億いる中で君に出会えた軌跡」みたいな歌詞ありますよね。

 

 

あれは、偶然(選択可能性)から必然(唯一無二性)への転換を急いでるんです。

 

 

 

 

 

上で述べたように、何度も塗り重ねるという工程によってはじめて、互いのことが特別な存在へと昇華します。

 

 

つまり、出会った時点では運命ではなく偶然です。

出会う時点では誰でもいいんです。

 

 

 

 

 

これは恋愛に限ったことではなくすべてに通じることですが、

人でもモノでも、出会ってからが本番で、塗り重ねに失敗したり、急いでしまうと、破綻することになります。

 

 

 

 

 

 

皆さんは家族選んで生まれてきたわけじゃないのに、家族はほかの一般人とは違う特別な存在でしょう。

 

好きとか嫌いとかは別として。

 

 

 

 

 

 

といった感じで今回はこれで終了とします。

 

 

 

 

今回は恋愛についてコミュニケーションのメディアとして紹介しましたが、

またの機会に、

”一つのコミュニケーションとしての恋愛”

についても話そうと思っています。

 

恋愛自体がコミュニケーションの目的になっている、みたいな話です。

 

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

また次回。

 

それではさようなら。

 

 

 

 

<あとがき>

正直、恋愛を社会学やその他学問で論じようとしても無駄だと思う。

この場合の無駄とは、研究自体を否定してるんじゃなくて、実生活にあまり使えないという意味で無駄だということ。

話自体は面白いと思うけど、そんな簡単なもんじゃないよねぇ。

 

 

 

(ついに3000字超えました。)

心を売る仕事

どうも。

 

今日は昼からバイトでした。

バイトはTwitterにも記載している通り、コックさんです。

 

コックさんと言っても去年の10月に始めたばかりの超下っ端で、土日などの忙しい時間帯は一人で回せるには至っていません。

コンロ8つもフル稼働でどんどんこなしていく先輩方のアタマの中を見てみたいです。

 

ちなみに前職は塾講師でした。

今思えば、当時は「ブラックだ―」とか言いながらやっていましたが、大手の塾だったこともあり、非常に待遇が良かったと思います。

通常授業に加え、長期休みなどは200コマ近く授業をしていたので、退職した後も有給消費で2か月ぐらい何もせずにお金が入ってきてました。

 

今のバイトに変わってから、お金を稼ぐしんどさがやっとわかった気がします。

これまでは、まあ確かにあれはあれでしんどかったですが、自分の知識をカリキュラムに沿って伝えていくだけなので、身体的なストレスはあまりなかったですね。

 

 

 

 

さて、今日の話はお仕事関連で、

 

感情労働

 

について、少しだけ触れていこうと思います。

 

それでは早速始めましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんは、「承認」されたいですか?

 

アドラー心理学が流行する起爆剤となった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』

によれば、

「承認欲求なんて捨ててしまえ!」(実際はもっとましな言い方です笑)

といわれていますが、実際はそうはいきませんし、あって然るべきだとも思います。

萎えることもあればモチベーションになることも多いですからね。

 

そんな「承認」に関して、

”承認論”を論じたアクセル・ホネットという哲学者がいます。

 

彼は承認を

  • 愛の承認
  • 法の承認
  • 連帯の承認

の3つに分けました。(詳細はあまり知らないので割愛)

簡単に言えば、愛の承認は個人から、法は規則、連帯は組織から得られるものとしています。

しかし、現代において、3つ目の連帯の承認がえられにくくなっていると考えられています。

その原因として2つ挙げられており、

  • 1つ目は 仕事環境の変化
  • 2つ目は 仕事内容の変化

であると言われています。

 

仕事環境の変化について

ホネットが承認論を論じた時代と、それ以降から現代までの時代は、

フォーディズム時代 と ポストフォーディズム時代

に分けることができます。

フォーディズムとは、

簡単に言うと、大量生産大量消費のマニュアル主義で、年功序列による仕事の評価という性質があります。

一方

ポストフォーディズムとは、

柔軟性重視でお客様第一主義、評価基準も能力別、といった時代で、まさに現代って感じですね。

前者と後者の間の一番の違いといえば、

前者は業務も商品も評価もひとまとめにされている集団的労使関係に基づくものであるのに対し、

後者は業務も商品も評価も個人に焦点が当てられていて、例えば「お客様一人ひとりに」といったようなマインドが代表的ですね。

 

それに加えて、ポストフォーディズム時代に誕生し、注目されたのが感情労働なのですが、これについてはあとで説明します。

 

このように、客側も企業側も全体的かつ包括的に扱われていたものが、個々人に目を向けられるようになり、集団としての凝集性や意識が減少していったことが連帯の承認の減少につながっていったと考えられています。

 

仕事内容の変化について

感情社会学という社会学の新たな学問分野を切り開いたとして有名なアーリー・ホックシールドという社会学者がいます。

彼女は、労働を

の3つに分類しました。

今回扱うのは3つ目の感情労働についてです。

上で述べたように、ポストフォーディズム時代の到来によって新たに誕生した感情労働なのですが、これが3つのうちの他の2つと比べて業務自体になじみやすく、評価することが非常に困難な労働なんです。

さらに、「営業スマイル」を振りまくことが当然のように日常に浸透しているので、どの労働にとっても当たり前のようになってしまっているのが現状です。

この感情労働が評価されないことによって、評価という承認が得られない原因となっていると考えられているのです。

 

 

 

といった感じで今日はここまで。

皆さんの仲にもお仕事で感情労働されてる方、非常に多いと思います。

学生の間でもこの感情労働や承認のカテゴリーは結構人気です。

 

もっと気になる方はぜひ自分で調べてみてください。

 

 

 

 

 

<あとがき>

感情労働と承認(心理系)とメディアは3大 人気テーマだと思う。

受験生もこういうの勉強したいっていう人多いと思う。

 

でも、先に言っとく。

 

心理は理系で、根性がないとできないもんだと思っといたほうがいい。